公務公共サービス労働組合協議会(公務労協)・連合官公部門連絡会は14日、「『公共サービス基本法』制定を求める2.14中央集会」(東京:日本教育会館)を開催した。
公務労協は、格差社会からの脱却に向けた連合の「STOP!THE格差社会」キャンペーンに結集し、働きがいのある人間的な労働を中心に、だれでも安心・安全と生きがいを持てる「ともに生きる社会」の創造と、それを支える公共サービスの実現をめざし、とりくみをすすめている。昨年の公共サービス憲章制定請願署名運動では、約340万筆を集約した。
これまでのとりくみの経過や現状を踏まえ、公務公共サービスの社会的な責任を果たす立場から公共サービス基本法の制定をめざす運動のスタートであると、この日の集会を位置づけた。
集会の冒頭、主催者挨拶に立った森越公務労協議長(日教組委員長)は、貧困や格差が拡大し、国民生活を支える社会のセーフティーネットが壊されてきている現状を踏まえ、「弱い立場にある人の命や生活が奪われ将来が閉ざされている今日、公共サービス基本法の制定は緊急課題である」と述べ、「EU諸国では当たり前になっている公共サービスの精神を具体的な法律として確立するため、本日の講演で学んだことを地域や職場に帰って広げていただきたい」と訴えた。また逢見連合副事務局長は、今日実現すべきことは、「すべての人に働く機会と公正な労働条件が保障され、安心して自己実現に挑戦できるセーフティーネットが組み込まれた社会と、そこにおける有効で効率的な政府」であり、信頼と安心の行政、公共サービスの再構築であるとし、「本日の集会を契機に、公共サービス基本法制定の運動が更に盛り上がり、大きなうねりとなって拡大していくことを期待している」と挨拶した。
挨拶に続き、講演が行われた。まず、神野直彦東京大学大学院教授が「質の高い公共サービス実現のために」と題して講演した。神野教授は、新自由主義によるグローバリゼーションが、世界に貧困や格差、労働市場の二極化、社会的病理現象などをもたらしたしくみを解説した。その上で、そうした現代社会が抱える問題の解決には、福祉・医療・教育といった分野に所得を再配分(水平的再配分)すること、公共サービスの提供が重要であり、公共サービスと現金給付を適切に組み合わせながら、国民の生活を保障していく社会を作ることこそが、日本の社会を発展させ世界経済を発展させていく条件であると強調した。
引き続き、原口一博衆議院議員(民主党NC総務大臣)が、民主党の「公共サービス基本法(仮称)」について、骨子素案とその考え方を提起した。素案は、公共サービスにおける主権者の権利を明記するとともに、多くの人々が助けあい協力し合って公共を作っていくという視点から作成したものであることを説明した。その上で、「労働を中心とした福祉型社会における人権保障とは何か、公共サービスの原則は何か、働く人々との討議の中で成案を作り上げていきたい」と、組織での活発な討議を求めた。
講演に続き、吉澤公務労協事務局長が、公共サービス基本法成案・成立に向けた今後のとりくみとして、広範な議論を深めていくとともに、各都道府県で「公共サービス基本法(仮称)の制定を求める地方集会」の開催やさまざまな教宣媒体などを活用し内外にアピールするなど、全力をあげてとりくむことを提案した。最後に、岡部副議長(自治労委員長)が「今後も普遍的で精度の高い公共サービス基本法をめざしていこう」と述べ、「団結がんばろう」でこの日の集会を閉じた。
なお、講演内容の概要は以下の通り(文責:公務労協)。
第T部
「質の高い公共サービス実現のために」
神野直彦 東京大学大学院経済学研究科教授
1970年代、先進諸国が第2次世界大戦後に重化学工業を基盤にして福祉国家をめざした時代が崩れはじめた。「オイルショックを契機にしておきたスタグフレーションは、福祉が大きな政府をめざした結果であって、福祉を切り捨てて、効率よい経済を作り、市場経済を解き放つことこそが効率性と世界の経済成長をもたらす」といった論調がきわめて説得力を持ち始める。小さな政府論を掲げた新自由主義の政策が世界に展開していくこととなった。
しかし、この経済は結局のところ、グローバリゼーションというアメリカが覇権国としての地位を維持していくための時間稼ぎの経済で、オイルショックに現れた大量生産・大量消費による自然破壊的な経済を再び世界的に巻き起こしていく経済だったと言えるのではないか。グローバリゼーションは貿易を自由化し、モノを世界的に動かすということを意味しているわけではない。資本・土地・労働という3つの生産要素のうち、資本を国境を越えて自由に動かすことである。グローバリゼーションは必然ではなく、崩壊寸前になったアメリカを中心とした世界経済秩序をどうにか引き続き維持できるように編み出したものである。規制緩和と民営化により、資本が自由に世界を駆け巡る土壌をつくりあげた。
第2次大戦後に先進諸国がめざした福祉国家は、市場経済が配分した所得を政府が再配分する(獲得した所得に対し、政府が高額所得者に税を課し、低所得者に現金を給付して所得を再配分する)所得再配分国家をつくりあげようというものであった。市場の効率性は公平性・公正を実現するとは限らないので、政府が介入して再配分することで公平性・公正を実現するというのが福祉国家であった。
ところが、所得再配分を政府が行うためには、生産要素の動きをコントロールできなければならない。オープンシステムの下の政府ではコントロールができない。所得の高い人(資本所得)に税金をかけようとするとその人は外国に逃げていくからである。金融の自由化がそれに拍車をかけた。
1970年代後半になると、資本は税負担の高い国から低い国へとフライト(逃避)し、税負担の高い国は成長せず、日本のように税負担の低い国が経済成長を遂げた。1980年代はまさに新自由主義の時代である。しかしその新自由主義的考え方が上手くいったかというとそうではない。生産性の高い企業が生き残る一方で、生産性の低い企業の倒産が相次ぎ、失業者が増え、所得格差が拡大し、社会そのものに亀裂が生じた。犯罪が相次ぎ社会的病理現象が起きた。1980年代、所得再配分に限界を見出したヨーロッパは、公共サービスを提供することで人々の生活を守ろうという方向に舵を切り始めた。
1990年代の日本は悪平等だと言われるくらい平等な社会だと信じられていた。その時の不平等度を見てみると、財政が介入する前(市場で分配した所得)では、スウェーデンが一番不平等で、一番平等な国は日本であった。日本的経営であまり差をつけない時代。ところが財政介入後(税金を掛けて現金給付する)の所得では、一番平等な国となるのはスウェーデンで、社会保険が一番充実しているフランスがそれに次ぐ。一番不平等な国はアメリカである。日本はその真ん中に入る。その時になぜ日本は悪平等の国だと言われたのか。日本の比較対象はアメリカしかないからである。アメリカより平等であれば悪平等となる。日本は市場における所得分配が先進国の中で最も平等であった。このような平等な所得を市場でやっているからインセンティブが働かないんだという名の下に、日本の労働市場の規制緩和が進められ、非正規従業員・派遣従業員などさまざまな雇用形態ができ、労働市場が二極化し、格差が拡大する社会になってしまった。もともと財政の所得再分配機能が先進国の中で最も小さい国であったが、市場による所得再分配機能が最も平等であることによりどうにか中間で維持していた国が、市場による労働の分配の規制を緩和したのだから格差拡大は当然である。問題は、政治に携わる者が市場において行われている格差をさらに拡大しろという政策を進めるのか、それに対して修正する政策を行うのかということである。
日本にはまだまだ修正しなければならない点がある。所得税、消費税や社会保険料などの負担では、高額所得者も低所得者も殆ど同じ負担をしている。租税負担と社会保障負担を見ると、日本はアメリカと同じように低く、特に租税負担だけをくらべると、先進国の中では日本は最も低い。社会保障負担では、アメリカのように助け合いで生きていくことを拒否している国は、社会負担は低い。日本は、ヨーロッパ諸国とアメリカとの中間に位置しているが、国民個人が負担する社会保障負担は高く、事業主負担割合が低い。さらに今、ただでさえ低い事業主負担を消費税に振り替えてゼロにしてしまおうという議論が起こっている。これは世界的にも異例なことだ。公的社会支出(公共サービスが中心的である社会サービス)を見ると、年金と医療保険以外の障害現金給付や家族現金給付は、日本は殆どない。高齢者福祉サービスや育児保育サービスも非常に低い。
貧しい人に生活を保障する現金を給付して、貧しい人に限定して現金を与えれば与えるほどその社会は貧しくなり、所得格差が広がる。生活保護など公的な扶助が多ければ多いほど格差は拡大し、貧困に陥る。水平的再分配(福祉・医療・教育など公共サービス)をした方が貧困も少なくなり格差も拡大しない。なぜか。貧しい人々に限定して給付しようとすると、そのような政策は国民的信頼が得られない。貰っている人と貰っていない人の格差が拡大し、貰っていない人はもっと貰っている人々の水準を低めろというバッシングが働く。それに対して普遍的なサービスは全ての階層に利益を与えるから支持される。公共サービスが高いか高くないかの分かれ道はその公共サービスが中産階級の生活を支えているか支えてないかがポイントである。水平的な再分配ができないと、家事や育児から完全に自由になって労働市場に出て行く人と無償労働をやりながら労働市場に出て行く人に分断され、賃金格差が広がる。
公共サービスを普遍的なサービスとして支えるということをしないと、労働市場は二極化するということ。公共サービスの提供こそが格差・貧困を解消すると同時に、新しい知識社会のインフラストラクチャー、生産の前提条件となり、産業構造を変えて、経済発展を進めていく条件にもなる。民主主義でサービスと現金給付と適切に組み合わせながら、国民の生活を保障していく社会を作ることこそが、産業構造が変わって重化学工業の時代ではなくなった時代に、日本の社会を発展させ世界経済を発展させていく条件である。
第U部
「公共サービス基本法(仮称)」について
原口一博衆議院議員(民主党NC総務大臣)
私たちがめざす社会は、労働を中心とした福祉型社会である。一人ひとりの人間の尊厳・自由が守られることが一番大事である。民主党は、医療・教育・私たちの暮らしと雇用を守る闘いをみなさんと進めている。日本は長い間続いた中央集権と一党独裁によって、みんなのものでなければいけない公共が一部の者に私物化されてしまっている。それを民営化してしまっている。今の新自由主義者たちがめざしてきた競争社会でない、「協力社会」をつくっていくことが必要である。私たちが目指す社会は協力社会であること、公共サービスの再生と刷新で不安社会からの脱却を、そういう社会を作っていこうということを確認したい。
相手の力を弱めるためには、分断して、それぞれを戦わせればそれほど簡単なものはない。この日本でいままで多くの働く仲間が、その権利が侵害されてきたのはなぜだろうか。今ヨーロッパや先進諸国では、労働教育に力を入れている。なぜか。働く人たちの権利が侵害されて働く人たちの人間の尊厳が破られればそこに格差が生まれるからである。労働の現場にいる人たちが自らの尊厳について学ぶことがなければ、自らの権利について知ることがなければ、どんな法律を作ってもその条文は絵に描いた餅である。私たちは、働く人たちの連帯で教育にこそまず多くの力を入れるべきだと思う。
政党と労働組合の分断に乗らない。労働組合の中の、働く者の中の民で働く人と公で働く人との分断に乗らない。働く人たちが団結することが大事である。正規労働者と非正規労働者の団結である。全ての働く人たちの権利を保障していきたい、一緒に連帯を強めていきたいと民主党は考えている。
そうした中で出てきたのが公共サービス基本法である。新たな公共サービスを再提起していこう。重要な点は、人間の尊厳を保障するために必要最低限のサービスを誰が行うのかということである。今まで非常に抑圧的な中央集権、一部の人間だけが権力を持っている、その時代が長く続いた。公共性の認定を欺瞞と独善によってやってきた。だから主権者を「保護する」なんていう言葉が出てくる。まずは公共サービスにおける私たち主権者一人ひとりの権利が何か、明記させていただき、中央政府あるいは地方政府、また公共サービスを担うのは何も官であるばかりとは限らない、NPOやNGO、私たちはさまざまなネットワークの中で多くの人たちが助け合い協力し合って公共を作っていくという考え方の中からこの法律の条文を作った。公共サービスに配慮する事項、公共サービスに従事する者の適正な労働条件の確保、権利が保障されてはじめて、公共サービスの質、国民の権利が保障されるんだという考え方である。公共サービスの原則、主権者に権利を戻したい、そもそも権利を持っているはずの人たちに一番近いところに、つまり地方自治体や教育の現場にエンパワーできるような仕組みを作っていきたいと思う。また、中央政府と地方政府、社会保障政府の3つの政府の間で補完性の原則が適用されなければならない。一番主権者に近いところ、一番子どもたちに近いところに権利を与えるべきである。そこで出来ないことがあれば、それは市民公益、自治体あるいは中央政府がそれを補う。
公共サービスの原則について、項目だけを述べさせていただく。何が原則として取り上げられるべきなのか、働く人たちとの討議の中で成案を作り上げていきたい。公共サービス基本法をまさに私たちの学びの結晶にしたいと考える。
まず、公共サービスの市民化、私物化された公益を排除し、市民化しなければならない。情報を開示して説明責任を果たさなければならない。主権者がきちんとチェックできることが大事である。日本は公共という大きな枠でいうと、中央政府の行政に対して立法がとても弱い。行政に対して立法が弱ければ、主権者が置き去りにされてしまう。公務で働く皆さんにお願いがある。私たちの権利を侵害する者と闘いましょう。労働を中心とした福祉型社会における人権の保障とは一体何か。そのために、私たちは学びを共有しなければないけない。教育にまず最大の資源を投入しなければならないと思う。公共サービス法案の要綱を是非お読みいただき、それぞれの職場で討議してほしい。連帯していこう。
以上