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大人にとって、働くことを通じて社会に居場所を求めていくことは、社会からかけがえのない人格として認められることです。この世界に生まれた一人の人間として欠くことのできない権利です。
しかし、日本における労働の現状は目を覆うばかりです。
現在、労働者に占める非正規労働者の割合は約4割となっています。2016年1月に連合総研が公表した「非正規労働者の働き方・意識に関する実態調査」によれば、非正規労働者である男性の58.0%、女性の74.6%が年収200万円未満であり、主稼得者に限ってみると、男性37.5%、女性48.9%が200万円未満であるとの調査結果も出ています。また、非正規労働者が主稼得者である家庭のおよそ44.2%が年間収支で赤字となっているなどの現状が明らかになっています。しかも、いったん不景気となると、雇用も住居も失われ、セーフティネットの狭間に落ち込んでしまうという悲惨な状態となることは多くの報道がなされたとおりです。
他方、正社員はどうかと言えば、長時間・過密労働等を原因とする過労死や精神疾患も後を絶ちません。また、経済苦を理由とした自殺者も一向に減少せず、自殺者の総数は1998年以来2011年まで14年連続で3万人を超えたままでした。2012年以降は3万人を切っているものの、若者の自殺率は諸外国との比較でも高水準で推移しています。こうした深刻な事情を踏まえ、警察庁はこれまで1年に1回の公表だった自殺者数を2009年1月から毎月公表しています。
急激な超少子高齢化・人口減少社会に直面している中、持続可能な経済・社会の構築のためには、非正規労働者の処遇改善を含む、賃金の「底上げ・底支え」と「格差是正」が不可欠であり、全ての労働者が安心して働き続けられる環境整備が喫緊の課題となっています。
こうした雇用、労働、社会の実態は抜本的に改革されなければなりません。最低賃金制度については、段階的に改善することとされ、2015年からは、地域別に1時間当り693~907円、1日8時間労働で月120,000~157,000円程度となりましたが、この水準では自分一人の生活を支えていくこともままなりません。
社会は、未来への希望が持てるものでなければなりません。人々が、多様な能力を開発・発揮する機会が保障され、病気や失業などでいったん職を離れてもやり直しができ、支え合いなしには暮らしていけない人々には必要な支援が提供され、高齢になっても社会とかかわりを持てる社会です。
こうした社会に変えていくためには、病気や不慮の事故により日常生活や就労が困難になった人々や、心身の障がいや老齢のために生活支援が必要な人々に必要な援助を保障していくことが何よりも大切です。
ところがこれまでの新自由主義的な政策によって、国民生活を支える社会的セーフティネットはずたずたにされています。地域格差や所得格差が拡大するなかで、財政難を理由として医療給付や障がい者への支援策が切り下げられています。また、後期高齢者医療制度に至っては、コスト削減ばかりが優先され、後期高齢者を人間として扱わず、当事者はもとより多くの国民の怒りを買ったところです。その結果、導入後1年もたたずに、2度の改正が行われましたが、いずれも小手先の見直しであり、国民が求める制度とはほど遠いものです。
さかのぼれば、障害者自立支援法もその名前とは逆に障がい者の社会参加の邪魔をしました。施設の利用に自己負担を課したために、共同作業所での労働に対する賃金を施設利用費が上回るという、信じられない事態が生じました。いわば働くためにお金を払うことになったわけです。
このため、厚生労働省の調査で負担増を理由に施設の利用をやめた障がい者が続出したことなどから、その後、一部自己負担を減額したり、所得区分を「世帯単位」から「個人」単位に変更する等不十分ながら一定の見直しが行われましたが、まだ多くの課題が残されています。
また、日本の家族、雇用支援対策費支出は先進国の中で最低水準となっています。 こうしたことも、ワーキングプアやニートなど雇用の劣化の大きな原因となっています。
教育は、一人ひとりの子どもの社会的自立を保障するライフライン(生命線)であり、同時に、子どもと社会の将来を決定する未来投資です。しかし、教育基本法の改正や教育再生国民会議報告に基づく政策推進など自民党政権が進めてきた教育改革は、教育の階層化・差別化を促進するものでしかありませんでした。
経済的困窮のために就学援助を求める家庭が増える一方、教育政策への不信感が強まり公立学校への信頼が薄れるなかで、高所得層の私立学校志向は相変わらず顕著です。所得による教育の序列化が進み、それが将来に対する「希望格差」となるなど、社会の階層分化とその固定化が進み、社会の亀裂がさらに深まろうとしています。公教育は、保護者の所得にかかわらず良質な教育が公平に保障され、風通しがよく、ともに支え合って生きる社会を創る基礎としての役割を果たすべきです。公教育に対する費用を十分に確保するほか、多様な就学援助と教育サービスが準備されなければなりません。教育は、すべてが商品として市場に委ねられてはいけないのです。それは政府の責任において保障されなければならないということです。
すべての国民が、安心して暮らしていくためには、水道、通信、交通・運輸などが、いつでも安定的かつ確実に供給され、利用できなければなりません。こうした社会基盤は欠くことのできない生活の基礎、ライフラインであり、整備や提供にかかるコストが高くなる離島や山奥でも、基本的には都市と同様の負担で保障されなければなりません。そのために必要な公共投資や援助を行うことは当然のことです。
しかし、自治体財政の悪化の下で、ライフラインの整備が進まないばかりか、水道料金の値上げやゴミ収集の有料化など住民負担の増加、福祉施設や保育園など公共施設の統廃合が行われ、老朽化した施設の維持・管理も危うくなっています。このままでは、動ける住民は街や村から出て行くことになり、高齢者ばかりが残され、ついには住むものがいなくなるなど、過疎と財政悪化の悪循環となってしまいます。